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矢沢永吉 ゴールドラッシュ 後楽園球場 (1978年8月28日) [1978]

1978年8月28日 矢沢永吉氏が東京後楽園球場でコンサートを行った。EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1978 「GOLD RUSH '78 PART-1」の一環で、正式ライブ名称は「矢沢永吉 後楽園スーパーバイオレンス ライブ GOLD RUSH '78 」だ。
1978年は4月4日にキャンディーズの解散コンサートもあったが、矢沢氏のライブの前月には最盛期のピンクレディーもコンサートをやっている。東京後楽園球場で初めてライブをやったのは1971年のグランド・ファンクレイルロードだった。
ちなみに矢沢氏の東京後楽園球場でのライブはこの一夜限りだ。その後はない。当時は警察から「本当にやるつもりか」と言われていたらしい。また後楽園球場と東京ドームの両方でライブを行った日本人ロッカーは矢沢永吉氏だけらしい。


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後楽園遊園地内のタワーから見た会場内の様子。
当時のステージの様子が良く分かる。
矢沢氏用のモニターはステージセンター外にある。
テレビカメラも散見される。
ステージ上は、彼が走り回れるように周辺には
据え置きモニターSPがない。
上下手には演奏者用の大型モニターSPが設置されているようだ。
PA/照明席は2塁ベース上にある。
サスガに当時は観客用の
DELAYタワー(音響遅延対策用スピーカー)はないね。
また照明用のタワーもない。

1978年、矢沢氏のキャリアは大きく転換した。「成り上がり」という衝撃的な本を出して一世風靡し、78年6月発売のアルバム「ゴールドラッシュ」は、同年3月発売で資生堂のCMに使われた「時間よ止まれ」のヒットに引っ張られて日本中を巻き込んでいた。正にジャパニーズドリームの体現者であった。ちなみに「時間よ止まれ」のキーボードは坂本龍一氏だ。ドラムは高橋幸宏氏と言われているが未確認情報だ。
1975年のキャロル解散からソロに転向して3年目の出来事だ。そしてその矢沢氏が東京後楽園球場でコンサートを行った。やはりこれは一度見ておかないと・・と思い大学の女性の友人を誘って出かける。



EYAZAWA (1)_S.JPG当時の矢沢氏のファンは、いわゆる暴走族系が多いと言われていた。実際そうだったのかもしれない。後楽園球場に到着して、遊園地などで遊び、周囲を散策するが、確かに見た目はそれらしい感じの人は多かった。でも暴れている訳でもないし、暴走している訳でもなく、それなりのテンションの人たちだったので、変な感じはなかった。とにかく元気な人たちだった。当たり前と言えば当たり前だが。私は開場の時間まで後楽園遊園地内で遊ぶことにしていたので遊園地で時間を過ごしていた。夏の後楽園は熱気と太陽でムンムンしていた。

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こんな観覧車もあったっけ。


EYAZAWA (3)_S.JPG

後楽園ってプールもあったよね。
実は元競輪場なんだけどね。
だからバンク周辺は泳ぎ辛いと聞いた事がある。
今の東京ドームはここの跡地に建設された。
時代だよね。



EYAZAWA (4)_S.JPG本番の記憶は曖昧である。座っていた場所は三塁側の1F席だったのは記憶にある。野球なら最高の席だ。
内野のボールカバーがステージとの間で視界を遮っていただろう。周囲の観客は茶髪ばっかりだが、話をしてみると皆気のいい連中ばかりだった。
こうした本番時の会場内の写真があるということは、当時はカメラチェックが緩かったということだろう。まだ投影ビジョンもない時代で、矢沢氏のライブ中の表情は私には全く分からなかった。



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とにかく覚えているのは中央のでっかい★である。ビッグスターということなのだろう。
「トラべリンバス」から始まったライブは、一気にトップギアという感じだった。周囲の物凄い声援と大音量のPAで、私の初めてのロックコンサートの体験は幕を開けた。田舎に住んでいた私には考えられないような体験である。観客の「永ちゃーん」の太い声はコンサート中にずっと聞こえていた。
写真手前に観客が見えるが、ステージまでズラッと勢ぞろいという感じだった。

 

 

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色とりどりの照明は変幻自在にステージを彩った。まだ時代的にこうした大型コンサートは一般的でなく、日本にも多くのノウハウがあった訳でもない。
特にロックの世界ではこのレベルのライブは皆無だった。そういった意味でも当時の矢沢氏が後楽園でライブを行った実績は日本のロック史にとっても大きいだろう。
「時間よ止まれ」では本人がベースを弾いて唄った記憶があるなあ。

 

 

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この写真は終演直後だと思う。とにかく内野等のスタンドに居た盛り上がった観客が一気に内野に怒涛のように入り始めたんだよね。
内野にあったボール避けのネットは観客に破壊され、完全に乱入状態になっていた。結構な人数の警備員が配置されていて、止めに入るが、興奮した客を止められる実力はなく、為す術もなかったとう感じだった。行為そのものは傍若無人だが、意外とみんな確信犯でやっていた感じだった。

 

 

EYAZAWA (9)_S.JPG

私のカメラも混乱したのか、撮影後確認すると
多重露光になっていた。
でも今になってこの写真を見ると
あのライブの終演後の雰囲気が非常に良く出ている。
写真には私の周辺に座っていた人々、
中心から右に見える白い群衆は
内野席のボールカバーを破壊して内野に乱入した観客。
その背景に後楽園球場のスタンド照明が見えている。
ここに来ていた人たちは今頃何処で何をして生きているのだろう?
皆元気に日本を支えているといいが・・。
青春の一コマだ。
そう言えば女性の友人とはライブ後に
一緒に夕食でもと思ったが帰ってしまった。
暑い夜が終わった。



LIVE 後楽園スタジアム

矢沢永吉 LIVE 後楽園スタジアム
1978年12月5日 発売






ディスク:1
1. イントロダクション
2. トラベリン・バス
3. 世話がやけるぜ
4. あの娘と暮らせない
5. 古いラヴ・レター
6. チャイナタウン
7. ラッキー・マン
8. ゴールドラッシュ
9. 苦い涙
10. 親友
11. 昨日を忘れて


ディスク:2
1. 時間よ止まれ
2. 恋の列車はリバプール発~サブウェイ特急
3. 黒く塗りつぶせ
4. ガラスの街
5. ウイスキー・コーク
6. アイ・ラヴ・ユー,OK
7. そっと、おやすみ
8. 鎖を引きちぎれ
9. 長い旅
10. ひき潮


セットリスト:

1 トラベリンバス
2 世話がやけるぜ
3 あの娘と暮らせない
4 古いラブレター
5 チャイナタウン
6 ラッキーマン
7 ゴールドラッシュ
8 苦い涙
9 親友
10 昨日を忘れて
11 時間よ止まれ
12 恋の列車はリバプール発~
13 ~サブウェイ特急
14 黒く塗りつぶせ
15 ガラスの街
16 ウィスキーコーク
17 I LOVE YOU OK
18 そっとおやすみ(インスト)
アンコール
19 鎖を引きちぎれ
20 ズッコケ娘
21 長い旅



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読売ランド 1978年⇒2011年 [1978]

1978年4月3日。私の正式な上京日である。最初の下宿は、小田急線の読売ランド駅から徒歩20分、小高い山の頂上にあった和田アパートだ。当時19,000円の4畳半の部屋(風呂なし、共同トイレ)だった。大学入学に合わせた上京で初めての一人暮らしであったため、全てが新鮮だったが、それ故無知な事も多かった。

読売ランド (1)_S.JPG

 写真は1978年の入居当時の部屋だ。サングラスをかけ ているのは、ただ単にカッコをつけているだけだ。
まだ殆どモノがないが、1980年祖師谷大蔵に引越しするまでこの部屋には冷蔵庫はなかった。また当時電話もエアコンもなかった。電話は大家さんの呼び出しである。
部屋の写真を見ると、右奥のテレビは実家の白黒テレビ(パナソニックの高雄だったか・・)で、左手前のラジカセは東芝製だ。当時はモノラルだった。ラジカセの手前の黒い物体はマンドリンで、その右はアコースティックギターだ。壁にはキャンディーズのポスターと宇宙戦艦ヤマトのポスターが見える。当時は月額6万円の仕送りだったので、約4万円が食費、雑費、光熱費に充てられていた。
この部屋はゴキブリが多く、夏に1ヶ月程度実家に帰って戻ってみると、日記の表紙が全部食われていたなんていうホラー映画みたいな事件もあった。とにかく駅から遠いので、駅そばの風呂屋に効率的に行くため、毎日学校に風呂の道具を持参して歩いていた。窓の外には巨人軍の二軍合宿所が見えており、私は巨人の星を思い出していたものだ。

 

読売ランド (2)_S.JPG右の写真は2011年に読売ランド駅前を撮影した際の映像だが、このアーケードとOdakyu OXは当時と全く同じ場所に同じようにある。
Odakyu OXは、毎日のように食料を買いに行った場所だが、もう一箇所、「サンコー」というスーパーがあり、1978年5月頃にはそこでレジのバイトを始めた。本格的なバイトは初めてだった。キッカケは私の部屋の向かいに住む「丸さん(千葉県出身/専修大学)」が働いており、彼の勧めでバイトを始めた。しかし当時のレジ仕事は、サンコーの方針でお釣り等の作業を自動化せず人力でやっていたため、特に私の担当レジで誤差が多く(要するに私が釣りの計算を誤っていたということ)、1ヶ月程働いただけで辞めることになるという苦い思い出がある。そのため今でもスーパーで買い物をすると、その当時の思い出が蘇る。

読売ランド (3)_S.JPG
読売ランド駅周辺。
ここ辺りはあまり変化がなかった。
(撮影2011年5月撮影)


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アパートの大家さんの家のあった周辺。
奥の白い家の密集する辺りだ。
(撮影2011年5月撮影)

読売ランド (5)_S.JPG

アパートの大家さんの家の裏手で、
アパートの入り口があった付近。
(撮影2011年5月撮影)

 
読売ランド (6)_S.JPG

当時のアパートの入り口の石段はそのままあった。
現在は戸建てに変わっていた。
(撮影2011年5月撮影)

 

1978年4月~6月の世相メモ:

 (1978/4/4)
キャンディーズ・後楽園でさよならコンサート

(1978/4/6)
アイビーファッションの「VAN」倒産
池袋に「サンシャイン60」オープン

(1978/4/17)
原田真二:4th シングル「タイム・トラベル」発売
世良公則&ツイスト:2nd シングル「宿無し」発売
中島みゆき:4thアルバム『愛していると云ってくれ』発売

桑田、世良、原田は新ロック御三家なんていうくくり方をされていたっけ。
音楽番組ではTBSのザ・ベストテンが世間の話題を席巻していた。

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(1978/5/1)
山口百恵:22nd シングル「プレイバックPart2」発売

(1978/5/20)
新東京国際空港(成田)が開港

(1978/5/21)
沢田研二:23rd シングル「ダーリング」発売

(1978/5/25)
勝新太郎:アヘン容疑で書類送検

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(1978/6/1)
福岡県で給水制限はじまる。
貯水率は7%まで下がり、水泥棒・水売りまで出現。

(1978/6/20)
アリス:13th シングル「ジョニーの子守唄」発売

(1978/6/21)
郷ひろみ:27th シングル「林檎殺人事件」With樹木希林 発売

(1978/6/24)
サザンオールスターズ:1st シングル「勝手にシンドバッド」発売
ピンク・レディー:8th シングル「モンスター」発売

(1978/6/27)
サザンオールスターズがテレビ初出演(ギンザNOW)

⇒サザンオールスターズがフジテレビの夜のヒットスタジオに登場したのは7月31日と記録にある。「勝手にシンドバッド」は発売当時売れ行きが悪かったと当時の担当者に聞いた事があるが、私はこの放送を見ていたが、桑田さんの声とパフォーマンスを見た私は本当にぶっ飛んだ思い出がある。これをキッカケに「勝手にシンドバッド」は1位に輝き、日本に新しいロック史を刻んで行くのである。
今でも好きな山下達郎さんは、まだ一般的な認知から非常に遠い活動をしていた。彼の3枚目のオリジナルアルバム「GO AHEAD」が出るのは1978年12月である。


 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 


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CANDIES FINAL CARNIVAL at Korakuen Stadium  April 4th in 1978 [1978]

Candies (12).jpg

キャンディーズというアイドルグループがいた。3人組である。当時を生きていた日本人には今更説明をする必要もないが、彼女たちは1973年にデビューし、次第に人気を得たが、1977年7月、日比谷野音のライブ中に突然解散を発表。翌年の1978年4月4日、東京後楽園球場でのコンサートを最後に二度と同じ舞台で唄う事はなかった。メンバーたちはその後も交流をしていたと聞くが、田中好子さんは2011年4月、55歳の若さでガンのため逝去してしまった。

There was pop group called “The Candies” here in Japan. They came out in 1973 as tree girls’ pop group. Miki,Sue and Lan were members of its group. They were around 17-18 yrs old at the time.
July in1977 they suddenly declared that they were going to break up soon in front of their audience during their live show in Tokyo.
It was told that they did not tell this secret to anyone by this moment,even their manger.
And they had continued their activates by the time their final live at Tokyo Korakuen Stadium Apr 4 in 1978. They had never reunited its group but they were having a time to see each other often after.
But Sue whose name is Yosiko Tanaka died April 21 in 2011. She was cancer, age at 55.


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Fans before live show.

私は当時18歳。大学に受かり初めての一人暮らしを始めたばかりの頃だ。なんで私は前日東京に引っ越してきたばかりであった。4月3日の午前中は雨模様で心配したが、午後から晴れ間が出てきてホッとした記憶がある。3日の夜22時からフジテレビの「夜のヒットスタジオ」にキャンディーズが出演し、後楽園球場から生中継で「微笑がえし」を歌ったのを読売ランドのめし処で見た記憶がある。
4月4日は天候に恵まれ気分の高揚感を覚えていた。後楽園球場に行ったのは午後2時頃だったろう。球場周辺にはキャンディーズのファンが溢れ、それぞれ気分を盛り上げていた。
 

I was 18years and have just started to live alone and go to collage. It was fine day in Tokyo. I went to stadium around 2 PM and my mood was getting higher and higher with all the other fans around there.


当時の会場内の写真を見ると分かるが、ステージは外野のセンター部分に
T型に作られている。当時はまだスクリーンにパフォーマンスを映像にして出す事が出来なかったため、遠くの席からは豆粒のようになる。それでもこの現場に居たことが大事だった。

As you can see my photo down below, their T shape was constricted at center outfielder’s position. I had never seen such a big stage before. But there is no projection and screen system due to 1978 tech. Members were hard to see from the distance position of some audiences but it was ok for us to just be there.


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当時の会場内の写真を見ると分かるが、ステージは外野のセンター部分にT型に作られている。当時はまだスクリーンでパフォーマンスを映像に出す事が出来なかったため、遠くの席からは豆粒のようになる。それでもこの現場に居たことが大事だった。  尚、この写真はステージが完成した状態である。 工事中ではない。


As you can see my photo, their T shape stage was constricted at center outfielder’s position. I had never seen such a big stage before.
But there is no projection and screen system due to 1978 tech.
Members were so hard to see from the distance position but it was ok for ueveryone to be there and breath same air.
The stage is not under construction.

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Candies (4).JPG

5万人のオーディエンスが開演を待っていた。

50,000 audiences were waiting for opening.


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Now the show begins.


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Members are coming to the center stage with gold color costume.



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Members are singing on the center stage.#01



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Members are singing on the center stage.#02



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Members are singing on the stage.#03-04


ライブは約4時間30分行われ、日本ポップミュージックの歴史の1ページとなった。ライブの詳細は他のWEBサイトに充実しているのでここでは割愛する。後にこのライブ映像を見たが、巨大ステージでの演者へのモニターシステムが完全な時代ではないのにも関わらず、彼女たちのライブ中の唄は、リズムも音程も全くと言っていい程狂っていなかったことは注目に値する。(後日修正があったかは不明だが、当時の技術を鑑みても限定的だったろう)

当時社会現象を巻き起こしたこの大イベントは、日本中の注目の中で終わる。このライブのプロデューサーでありキャンディーズのマネージャーだった大里洋吉氏は、松崎澄夫氏と共にアミューズを設立し、原田真二、サザンオールスターズなどを輩出し、彼自身も日本のPOPミュージックの歴史に名前を刻む。

4hours and 30 minuets live show had ended and become a one of history of Japanese pop music history. I won’t say things about this show. You may read on the web if you want to. Producer and their manager, Mr.Yokichi Ohsato found his artist management office “Amuse”. He had produced many hit artists after.



データ:

場所:東京後楽園球場
年月日:1978年4月4日(火曜日)

A席:4,000
B席:3,000
C席:2,000


協賛:ハウス食品、森永製菓

プロデュース:大里洋吉、松崎澄夫

天気:晴

開演:17時

終演:21時30分
来場者:約5万人

演奏:MMP

渡辺茂樹(Key) 西慎嗣(G) 山田直毅(G) 渡辺直樹(B)
王子聡(Drs) 菅原由紀(Perc) 小林正弘(Tp) 竹田恒夫(Tp)
片山鉱二(Sax) 柴崎秀一 (Vo)


<Horn-Spectrum>
新田一郎(Tp) 兼崎順一(Tp) 中村テツ(哲)(Sax)
  

プロデューサー:大里洋吉(アミューズ会長/2013年度現在)

2013年春、 「キャンディーズアン・ドゥ・トロワ」という29,300円もする未公開写真満載の写真集が彼らの40周年を記念して予約開始された。私の年代の人達の多くがこの本を手にするかもしれない。(私の知り合いは1冊購入したらしい)
2000年代以降の若い人たちにとってキャンディーズの存在の認識はないだろう。彼らにとって彼女らは記号と同じだ。しかし彼女たちの存在やそれに関わった当時のスタッフの影響は、現在の音楽やエンタテインメントに多くの影響を及ぼしている。そういう意味で、私が経験したあの夜の出来事や当時の伊吹がここに記録されることで後世に伝わってくれれば幸いだ。

http://www.candies40th.com/

Candies (14).jpg
A part of Live show porster

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